こんにちは、霜月です。
日文コースの進級ガイダンスの日時をお知らせします。
文学部1年生向けの進級ガイダンスが11月13日(水)12時15分~12時55分に34-
ぜひご参加ください。
こんにちは、霜月です。
日文コースの進級ガイダンスの日時をお知らせします。
文学部1年生向けの進級ガイダンスが11月13日(水)12時15分~12時55分に34-
ぜひご参加ください。
こんにちは、片栗粉です。
随分お久しぶりの純喫茶探訪記となってしまいました。
前回の記事以降もいくつか喫茶店を訪れたのですが、たいてい写真を撮り忘れてしまい、記事にし兼ねているうちに早数か月…。
というわけで(?)今回は、私にしては珍しく忘れずに写真を撮ったお店をご紹介したいと思います。
展覧会を観に上野を訪れる方は多いと思いますが、そんな上野界隈での美術館・博物館巡りの後にぜひ足を運んでほしいのが、アメ横側の「Coffee Shop ギャラン」です。
上野は日本における近代喫茶店発祥の地とのことで(明治21年に「可否茶館」が上野の明治製菓本社別館1階に開店するも、時代を先取りし過ぎたため客足が伸びず、すぐに閉店してしまったそう)、趣深い純喫茶が今もいくつかありますが、「Coffee Shop ギャラン」はそんなお店の一つです。
お店に着くと、まずはショーケースが出迎えてくれます。
「ギャラン」の文字がレトロできゅんとします(世の中の看板がこういうレトロなフォントで溢れればいいのに、と常々思っている)。
ショーケースの中には、「ザ・喫茶店」といった定番メニューの食品サンプル。パフェの生クリームの盛り具合がすごい。左奥のピザトーストの厚みも素敵。ベッドにしたい。
お店は建物の2階にあります。階段下に置かれた看板の文字もこれまたかわいい。
さらに素晴らしいのが、お店に続く階段の壁に施された電飾。電球がこれでもかとぴかぴか灯っていいます(ところどころ電球が切れているのもまたご愛嬌)。
「ギャラン」という言葉の響きの不思議な力強さに胸を高鳴らせながら扉を開けると、店内もこれまた素晴らしい(ちなみにギャラン〔galant 〕はフランス語で勇ましい、勇気ある、洗練された、華麗ななどの意味だそうです)。期待を裏切りません。天井にはやたら電球の多い照明、壁にはレリーフに、花を象ったランプ。一瞬にして高度経済成長期の昭和にタイムスリップしてしまったかのようなギラギラ感です。
足元のタイルはこんな感じ。なんてデコラティブ!!
一種装飾過剰なところが純喫茶の醍醐味の一つだと思うのですが、「Coffee Shop ギャラン」はその醍醐味を存分に味わわせてくれます。
店員さんは皆のタータンチェックの制服。ここにも懐かしさを感じます。
オムライスと紅茶のセットを注文。サラダ付き。装飾過多の気味のある内装とは対照的にシンプルでオーソドックスなオムライスで、どこかほっとする味でした。
あらゆるところに昭和を感じる店内ですが、もちろんBGMも最近のJ-POPなんかを流していたりはしません。
ガロ「学生街の喫茶店」
八神純子「想い出のスクリーン」
いしだあゆみ「あなたならどうする」
B.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」
山本リンダ「どうにもとまらない」
Sugar「ウエディング・ベル」
BOØWY「Marionette」…
と、70~80年代のヒット曲ノンストップ(当時の私は相当テンションが上がったのか、店内滞在時のBGMをなぜかメモに残していたので書いてみました)。
目でも、耳でも、舌でも思う存分に昭和の空気を味わえる、今となっては貴重な喫茶店です。
令和の時代も、「Coffee Shop ギャラン」は変わらずギラギラした昭和の雰囲気を振りまいていてほしい…と願うばかりです。
芸術の秋、上野での展覧会巡りに疲れたら、ぜひ「Coffee Shop ギャラン」で昭和の空気に浸りながら一息ついてみてください。
こんにちは、片栗粉です。
前期に引き続き、今期も日本語日本文学コース室では学修支援室を設置しています。
以下の時間に各時代・分野のLA(大学院生)の方が在室されます。
中古散文:木曜日の昼休み(12:10~12:50)と4限(14:45~16:15)
中世韻文:水・木曜日の4限
中世散文:水曜日の4限、木曜日の昼休み
近現代:水曜日の4限、木曜日の昼休みと4限、金曜日の3限(13:00~14:30)
※学修支援室ってどんなときに使うの?という方はこちらをご覧ください。
これからの時期、特に学部4年生の方は「卒論についてのアドバイスが欲しい…」という場面も増えてくるかと思います。そんなときはぜひ、学修支援室をご活用ください!
もちろん、上記以外のご相談も大歓迎です。
LA、TA一同 コース室でお待ちしております。
こんにちは。霜月です。
2019年度秋季のコース室の開室時間をお知らせします。
月曜日~金曜日 12:00~17:00です。
土日は閉室しますが、授業実施日の祝日は開室します。
こんにちは、霜月です。急に暑くなってきましたね。毎年夏が来るたびに、「去年の自分はどうやってこの暑さを乗り切ったのだろう」と不思議に感じます。そもそも夏をちゃんと過ごした記憶がない
さて、夏季休業期間中のコース室の開室予定日をお知らせします。
8月
7日 21日 28日
9月
4日 11日 18日 25日
開室時間 13:00~16:00
です。
みなさん、暑さに気をつけてお過ごしください。
写真は涼しそうなシロクマです。
早稲田日文では、学部生、院生、先生からなる研究会(学生研究班)がいくつかあります。私は和歌の研究会に出ています。
新古今研究班という名にふさわしく、今期は藤原定家による『新勅撰集』を読んでいます。『新勅撰集』とは、『新古今和歌集』の後、藤原定家が一人で編んだ勅撰集です。後堀河天皇の命で作っていたのですが、完成を目の前にして後堀河天皇が崩御…。悲嘆にくれた定家はこれまでの草稿本を焼いてしまいます…。そこで、後堀河朝を支えてきた当時の貴顕、九条道家(九条良経の息子・左大臣)が、かつて後堀河天皇に提出していた『新勅撰集』のラフスケッチを探し出し、再び定家に編纂の命を与えたのでした。
さて、雑四の歌に、こんな歌がでてきました。
源家長といえば、『新古今集』編纂の事務局長をつとめた人です。この歌は、『新勅撰集』の主導者、道家主催の歌合(「名所月歌合〈貞永元年〉」)で詠まれた歌とあります。「名所の月」を歌に詠んだのですね。
百人一首を知っている人であれば、この歌を読んで、なにか既視感のようなものを覚えるかもしれません。そう、阿倍仲麿が故郷をおもいつつ唐土で詠んだ
あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山にいでし月かも(安倍仲麿)
これの本歌取りだなということがなんとなくわかります。
本歌取りとは、先行の和歌(本歌といいます)の場面や表現を取り込むことで歌に奥行きなどをもたせる表現技巧ですね。その場の人々と共有されている知識を用いることで、31文字という限られた情報量を乗り越えようとする営みと言えます。歌論によっては、本歌を土台にして、本歌とは違う世界へ飛躍せねばならないと言われたりします。
でも、自分の知ってるハナシが、表現に取り入れられているのを見るだけでも、快感に近い面白さを感じること、ありませんか?あ、知ってる知ってる!って。私はサンサーンスの「化石」という曲をきいてこういう面白さに気づきました(曲の中に「きらきら星」のフレーズが入ってるんです)。
この歌もそういう面白さがありますよね。
ところで、この歌は歌合の歌ということですが、和歌ってどうやって発表されたんでしょう?現代の歌合といえば、角川が主催する学生短歌バトル(http://www.kadokawa-zaidan.or.jp/news/2019/02/000436.php)がありますが、平安鎌倉時代にはまだパワーポイントはありません。
和歌の発表は専ら声で行なわれました。和歌を五、七、五、七、七の句に区切ってよみあげるのです。各句の末尾を伸ばし、句と句には間がとられる独特の作法があったようです。
声というメディアの特徴は、巻き戻しできないところにあります。和歌は上から下まで順番に読み上げられたのです。同様に、和歌の解釈・理解も初句から結句へむけてなされていたと考えることができます。
研究班の兼築先生は、この歌(「いづこにも…」)を上から読んでいくとして、どこで本歌取りのスイッチが入ると思う?と言います。上から読みあげてみましょう。
いづこにもーーーーーーーーーーーーーーーっ
……。
ふりさけいまやーーーーーーーーーーーーーーっ
……。ん?ふりさけ…?
みかさやまーーーーーーーーーーーーーーーーっ
……あ、もしや?
もろこしかけてーーーーーーーーーーーーーーっ
(確信)
いづるつきかげーーーーーーーーーーーーーーっ
なるほど!
始めから本歌取りの意図は見せず、徐々に明らかにしていき、最後には確信をもって歌が聴ける構成となっています。もはや安心感すらありますね。
「本歌取りのスイッチはどこでバチバチっと入るか」。この視点に立つと面白いかもしれません。
さらに、この歌の面白さは、単に本歌を歌に取り入れただけ、ではありません。もう一度仲麿の歌と並べてみましょう。
あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山にいでし月かも(仲麿)
いづこにもふりさけいまやみかさ山もろこしかけていづる月かげ(家長)
二つの歌はどこで月を見ているでしょうか。
本歌の仲麿の歌は、唐土で詠まれ、月を媒介として東の日本を向いています。一方で家長の歌は日本の地にいて、月を媒介として西の唐土を向いています。「ああ、あの月の出どころが三笠山か」という仲麿に対して、「そう、この月は三笠山から唐土へむかうのさ、今もね」と詠む。本歌と本歌取りの歌でまなざしが交錯する。いわばアンサーソングですよね。
家長の歌が、「いまこの場」を軸としていることにも注目したいですね。仲麿の和歌世界を、歌合の場とつなげるのがこの歌と言えましょう。こんな歌出されたら、バイブスが最高潮に達しちゃいますね。
歌が発表された時の反応が判詞に残っています。
「ふりさけいまやみかさ山もろこしかけて」といへる、漢家本朝をかけて月影いたらぬ所なくつかうまつる由、満座褒美、勝と為す。
(試訳)「ふりさけいまや三笠山唐土かけて…」とある歌は、中国、我が国にわたって、月は至らぬところなく照らすのだという内容。その場の皆がこれを褒めたたえた。この歌を勝ちとする。
ほんとにバイブスが最高潮に達してますね。(笑)
新古今研究班は毎週木曜日18時すぎからやってます。
※和歌の引用は日本文学web図書館『新編国歌大観』による。