にちぶんにっき

早稲田大学日本語日本文学コース室のブログです。

コーヒー哲学序説

こんにちは。小倉です。
めっきり寒くなり、温かいものが恋しい季節になってきました。


  寺田寅彦は「コーヒー哲学序説」のなかで、「八九歳のころ医者の命令で始めて牛乳というものを飲まされた。当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の 嗜好品でもなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であったように見える。そうして、牛乳やいわゆるソップがどうにも臭くって飲めず、飲めばきっと嘔吐したり下痢したりするという古風な趣味の人の多かったころであった。(中略)始めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくい「おくすり」であったらしい。それを飲みやすくするために医者はこれに少量のコーヒーを配剤することを忘れなかった。粉にしたコーヒーをさらし木綿の小袋にほんのひとつまみちょっぴり入れたのを熱い牛乳の中に浸して、漢方の風邪薬のように振り出し絞り出すのである。とにかくこの生まれて始めて味わったコーヒーの香味はすっかり田舎育ちの少年の私を心酔させてしまった。」と言っています。どちらかというと、いまのコーヒーと牛乳の関係性とは逆のような気がします。
  続けて寺田寅彦は、「研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、前記の意味でのコーヒーを飲む。コーヒー茶わんの縁がまさにくちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである。」と述べています。残念ながら、私にはそういった経験がないのでうらやましいかぎりです。もしこんなことがあったらコーヒーぐらいいくらでも飲むと思いますが。
  最後に、「宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない。」とあります。どちらにせよ、コーヒーをめぐってこういった文章を書くことで、原稿を一本終わらせることができたというのもコーヒーの効用のうちかもしれません。
     

     客観のコーヒー主観の新酒哉   寺田寅彦
ではまた。