にちぶんにっき

早稲田大学日本語日本文学コース室のブログです。

カツ丼と早稲田

こんにちは。小倉です。


先ほどぱらぱらめくっていた本で偶然発見したのですが、カツ丼の発祥地は一説によると早稲田界隈のようですね。
カツ丼にも卵とじのカツ丼とソースカツ丼がありますが、
前者は馬場下町交差点付近のある老舗そば屋で宴会に残ったカツを利用して生まれたというのが「定説」らしいです。
後者は大正10年ごろ早稲田の学生だった中村敬二郎が発案したとも、ドイツで修業した高畠増太郎が大正2年早稲田鶴巻町にヨーロッパ軒を開業し、既にメニューにあったともいわれているとのこと。
つまり、卵とじのカツ丼もソースカツ丼も起源は早稲田あたりにあったとらしいということですね。山梨県福井県でカツ丼といえばソースカツ丼をさすらしいですが、本当でしょうか。
文学関係でカツ丼に言及している人物の名前としては、吉村昭池田弥三郎池波正太郎車谷長吉などがあげられていますが、そのなかで色川武大のカツ丼にまつわる回想を引用してみます。


私は16から21歳くらいまでの間、つまり敗戦後の乱世の頃に、ばくちを打ち暮らしたことがあるが、人形町の裏通りの家で夜半にとって貰うカツ丼がすばらしくうまかった。あの頃はまだ銀シャリという言葉が生きていた時代である。カツが揚げたてで、卵が煮つまってなくて、タレの飯に染まり具合がよい。そのうえに米粒そのものがおいしい。今でもあのカツ丼を思いだすと唾が出てくる。
                                     色川武大「眠む気と喰い気と」


早稲田発祥のカツ丼はさまざまな作家によってえがかれ、今に至っているようです。
それではまた。
参考文献:重金敦之『食彩の文学事典』(講談社 2014年1月)