にちぶんにっき

早稲田大学日本語日本文学コース室のブログです。

鳥獣魚肉を加へずして献立せるへう


  バーガーに挟まれているくたくたのレタスのごとし夏風邪のわれ 今井千草


こんにちは。小倉です。
風邪をひきました。つらいです。


さて、先日資料を集めておりましたら、「女学世界」という雑誌の創刊号(明治34年1月)を見る機会がありました。
明治時代の人はこんなものを食べていたのだなという雰囲気がわかる、献立をいかにしてたてるかを書いた記事を引用してみます。


(丙)鳥獣魚肉を全く加へずして献立せる表(へう)
米飯(白米凡4合)、沢庵漬(凡14切)、三河島菜漬(凡2茎)
(朝)味噌汁(汁椀2杯)、甘薯(汁のみ、長さ1寸ほど)、煮豆或は納豆
(昼)甘煮…生麩(ちくわ麩半本)蓮根(長さ2寸ほど)里芋(5個ほど)
(晩)煮つけ…大根(輪切り5切)油揚(1枚)、清汁(すましじる)…豆腐(1丁の3分の1)


あきらかにおかずが少ないと思います。
特に晩御飯に関しては、(甲)の「肉類を加へて献立せるへう」ではすき焼、(乙)の「魚肉を加へて献立せるへう」では鮪のさしみがおかずだっただけに落差が際立ちます。
さらに、この記事では献立の栄養成分表も一応は掲げられているのですが、「醤油、砂糖等にて味をつくる時、増加するもあるべければ、標準量との少しの差は、介意するに足らざるべし」と述べられ、調味料という要素を一切加味しない成分表となっております。
それでいいのかという疑問もありますが、明治時代の料理欄はこんな感じなのでしょうね。現在の料理本などと比べると隔世の感があります。
実は、最初はこの献立をやってみたという記事を書こうと思っていたのですが、調べてみたところ『江戸の野菜―消えた三河島菜を求めて』という本を発見しまして、「三河島菜」が昭和初期に絶滅してしまい「三河島菜漬」が再現不可能なため断念しました。
三河島菜漬」―いつか食べてみたいものです。
それではまた。


参考文献:渓流女史「食物の献立」「女学世界」1901年1月