早稲田日文は窪田空穂からはじまるといいます。
社会科学総合学術院の内藤明先生などなど、
早稲田の出身の先生方が思い浮かびます。
案外戦前の国文学者は歌を作っていたこともよく知られていますね。
折口信夫は常識かもしれませんが、
名著『中世の文学伝統』の風巻景次郎は、歌壇への発言を多く残しています。
早稲田出身者では川口常孝、岩津資雄、窪田章一郎、藤平春男…などなど
やはりまひる野系が強いですが、和歌の先生方は歌作を経験しているようです。
そんな早稲田にはかつて、国文学の論文と短歌作品をあつめた雑誌「槻の木」がありました。
昭和初期の創刊、窪田空穂と早稲田の学生たちによる同人誌です。
コース室の書庫には戦中(昭和15年くらいまで)のものがあり、面白いです。
たとえば、昭和14年1月号の編集後記にはこんなことが書いてあります。
「聖戦三年の新年を迎へることとなつた。槻の木は銃後の心で一筋に緊張を続けて行きたいと思つてゐる。」
当時の空気が分かりますね。
ちょっとこれを読んでいきたいと思います。