にちぶんにっき

早稲田大学日本語日本文学コース室のブログです。

日本語のどの点が特殊で、どの点はそうでないか

本日の東京は晴れたり曇ったりですが、昨日は夏のようでしたね。季節が少しずつ移ってゆくのを感じます。こんにちは。波留です。

スタジオジブリの監督で高畑勲という方がいます。
最近の国語の教科書の内容はバラエティに富んでいます。三省堂の『中学校の国語 二年』(2012年)に高畑氏の「日本人はアリスの同類だった」という文章が載っていて、ゆえあって私は最近それを読みました。

その文章のなかで、一つの漢字に音読みと訓読みといった複数の読みをあてたうえ、ひらがな・カタカナを漢字から生み出し、日本語は世界的にも独特な文字体系を持った、という旨のことが述べられています。
氏はそこから、複数の意味のある〈絵〉として文字をとらえる文化的嗜好が見て取れ、それが日本のアニメ・マンガの発展の遠因である、としていて、これはにわかにはうなずきかねますが、日本の文字体系が独特なことは確かに従来いわれていることです。

また、漢字に複数の読みがあることも手伝ってか、日本語は同音異義語が多いともいわれています。

同音異義語、また広い意味で、同じ音で違う意味を表すことばを駆使したものとしては、掛詞が思い出されるでしょうか。
現代でも、「うまい」ものだと「謎かけ」などと呼ばれますが、より「くだらない」ものは「ダジャレ」と言われてしまいます。

ただ、同じ音で違う意味を表す二つのことばを見つけてしまったとき…やっぱり、言いたくなっちゃいませんか?ダジャレ。

2001年に亡くなりましたが、大変な人気を博した落語家で、古今亭志ん朝という方がいました。志ん朝は神楽坂矢来町に邸宅があったため、「矢来町(の師匠)」と呼ばれることもありました。
さて神楽坂矢来町にはある出版社の社屋があります。その名も新潮社。
しんちょうの家はしんちょうしゃの裏手にあったのです…
つまらないダジャレのようですが、本当のこと。つまらないダジャレのようですが、知っているとどうしても誰かに言いたくなってしまうのが人情ってものではないでしょうか。…違いますか。

ところでこうしたダジャレのようなものは、おそらく外国人への日本語教育では教えていないでしょう。
逆に、もし英語圏などにこうしたものがあったとしても、私たちが知れる機会は多くはないと思われます。
日本語は同音異義語が多いというのはある程度正しいと思いますが、そうした性質を使ったダジャレなどのフランクな文化について、外国語でどうなっているかは、ふつうに外国語を習っているだけではわかりません。
外国語のことをよく知らないのに、日本語のここが特殊だと断じるのは控えなくてはいけないな、と肝に銘じる次第です。

いつものように取り留めのない話になってしまいました。
落語家が急に出てきたのは、志ん朝が高畑監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)でナレーターを務めていたつながりということで、ご勘弁ください。

それではまた。